こんにちは、SACCEED CONSULTINGです。
映画感想文シリーズ5回目。
まだ5回目。
さて、今回は現在公開中の「ゴジラxコング 新たなる帝国」
当然ネタバレ無しです。
今回の作品は、リーダーたる者、どのように治めるか良い例、悪い例がわかる映画でした。
伊福部先生のあの曲がないのはやはり寂しいですね。
ゴジラ-1.0も大変素晴らしい映画でしたが、やはり日本ゴジラもこのくらいお祭り騒ぎをやってほしい。
日本のゴジラは初代ゴジラを神格化し過ぎて、ゴジラがゴジラであって、ゴジラではないものになっている気が。
-1.0は好きです。私の中で上位に入りますので否定はしません。
むしろ大好きです。これほんとよ。
最近の日本のゴジラは神を超越するもの、ハリウッドのゴジラは自然界の頂点、そんな描き方ですかね?
日本のゴジラで、そろそろモスラに説教されるゴジラや、寝ぼけてこけるゴジラ、良き父であるゴジラ、超兵器と戦うゴジラ、3本の首を持つあいつや、自分の分身と戦うゴジラ、怪獣軍団を率いるゴジラなども見たいわけです。
吹き出しで会話するゴジラはあの一作だけでいいかな。
特撮、SFは現代社会の矛盾、問題を比喩的な表現で語ることができるので、
当然ゴジラは核やその兵器のメタファーであるけれど、それ以外にも語るべきことはたくさんあり、もう少しその辺を日本のゴジラは語って欲しいですね。
今回のハリウッド版は、部外者が、自分たちの出会ったものの文化や慣習などを尊重し、外部からの守り方などをきちんと理解する姿が描かれておりました。
その辺は大変重要な描写だなと感じました。
初代ウルトラマン第二話「侵略者を撃て」、バルタン星人初登場回において、発狂したバルタン星の科学者が核兵器かなんかで母星を滅ぼし、地球にバルタン星人が逃げてきたストーリーの中で、地球に住み着こうとするバルタン星人に対し、
科特隊のハヤタ隊員が「君たちがこの地球の風俗・習慣になじみ、地球の法律を守るならば、それも不可能なことではない。」という旨、言っておりました。
私はその通りと思います。これは国と国だけでなく、人と人、家族と家族、会社と人、会社と会社など、あらゆる関係の中で言えることだと考えてます。
人や家族、会社、国にはそれぞれの持つ歴史、文化、価値観様々あります。
対相手の中で、きちんとそれを認識し、譲るところ、協力するところ、抑えるところ、譲らないところ、自分の能力を売る所など持たないと、相手に支配、侵略されるだけであり、自分たちのアイデンティティーを奪われてしまいます。
自己防衛のために、自分たちの今をきちんと分析し、客観視しておくことがとても大切なのかと思います。
自分自身の分析は常に行っているつもりですが、その方法の正解については模索中です。
しかし精度に関わらず、それを行うことで自己防衛となり、そして何より自信となり、成長となり。
まさにこれかな?
相手から支配ではなく対等に、そして協力していくことができるのだと思います。
その中で今回のハリウッド版ゴジラはなんとなく、意図してないとは思うけど、その辺を考える映画でした。
ただ日本の文化であるゴジラなのに、日本人が出ていない。
それも寂しい感じがしました。
異なるゴジラ作品が同じタイミングで上映されてるのは、日本の歴史の中で初めてなのではなかろうか?そんなことも思うところであり。
まあ息子とゴジラを見るのが夢だったので、それをこの短期間で2回もできたこと、その事実に感謝です。
さて、告知動画です。
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